約束のメリーゴーランド

夕暮れ時の日曜日。オレンジ色の空をカラスの群れが家路へと急いでいた頃、ガタゴトと走る電車に彼はのっていた。

 

窓におでこを押し付けながらぼんやりと太平洋に沈み行く夕日を見つめていた。

 

今日は日曜日だというのにビジネススーツにコートと手提げカバン。

彼は重たい溜息を吐き、携帯電話を取りだした。

 

今日は息子の誕生日だった。何ヶ月も前から遊園地へ連れていくと約束していた。

それなのに彼はつまらないミスで休日出勤を余儀なくされてしまい、その約束を守ることが出来なかった。

 

電車を降りて改札を抜けた辺りで彼は妻にメールを送った。

「遅くなってすまない。今電車を降りたよ。」

するとすぐに返信がきた。

「早く帰ってきて。一秒も無駄にしないこと」

秋枯れの街路樹を歩きながら、そう冷たい返事が返ってきた。

 

彼はまた溜息をついた。

実は3か月前の妻の誕生日も同じような理由ですっぽかしていたのだ。

今度こそ父親としての立場を取り戻すチャンスだと思っていたのに、

「あぁあ、うまくいかないなぁ」

と愚痴をこぼしながらエレベーターのボタンを押した。

 

日は落ちて空にはぽつりと星が姿を現し、マンションから見下ろす景色の街頭にも明かりが灯り始めた。

 

インターフォンを鳴らしても反応がなかった。彼は鍵をあけ、冷たいドアノブを握り重たいドアを引いた。

「た、ただいまぁ」

返事はなかった。

家の中は静まり真っ暗だった。廊下を歩きリビングに入るとソファに妻と息子が背を  向けたまま座っていた。

 

あまりにも分かりやすい怒りの演出に彼は息を飲んだ。

彼は電気をつけて、小さなこえで

「ただいま」

背を向けたまま妻が

「今日は何の日かしら??」

怒りを抑えたような冷たい声だった。

「今日はソラトの誕生日です」

「何かお忘れじゃないかしら??」

「ゆ、遊園地ですよね」

「約束は守るもの。say」

 

「ん?え?」

「大きなこえで!!say!!」

「約束は守るもの!!」

 

すると妻とソラトはクルリと飛び跳ねポーズを決めた。

「準備はオッケーよ、あ・な・た」

「僕もオッケーだよ、パ・パ」

 

お揃いの黄色いパーカーに身を包んだ二人がキラキラした目で彼を見つめた。

「う、うん。行こう。行くよ、遊園地」

 

時計は夕方17:58 車で行けば1時間30分、閉園時間が20:00

いや、考えるのはやめよう。彼は車の鍵をポッケに入れ、三人はバタバタと出かけて行った。

 

高速道路にのるとオレンジ色の街頭が流れ、何処までも赤い光が行き先に続いていた。

「なんか夜のお出かけって、ドキドキする」

「そうね、ママもなんだかわくわくするわ」

後部座席で妻とソラトは楽しそうにしていた。

 

運転する彼の肩を妻がポンと叩いた。

「はい、おむすび。運転しながらだけど食べれる?」

「お、おう。ありがとう」

ラップに包んだおむすびを食べやすいようにほどいて渡してくれた。

「どうせお昼もまともに食べてなかったんでしょ。冷めてるけど許してね。」

 

いつだってそうだ。妻は取柄のない僕のことをこうして優しく明るく支えてくれる。

今日だって仕事のミスをしたのは自分のせいだ。こうして僕は会社に取引先にお客さんに家族にいつも迷惑をかけて生きている。

 

頭のなかをグルグルと駆け回るどうしようない自己嫌悪を塩味のするおむすびと一緒に飲み込んだ。

 

「あなた、大丈夫??疲れてるんでしょ。何処かで運転変わるわよ」

「いや、大丈夫だよ。なあ、ソラト。遊園地についたら何に乗りたい?」

「もちろん、メリーゴーランド!!」

「ふふ、やっぱり。珍しいよな、男の子がメリーゴーランド好きなんて」

「そうよね。4歳くらい男の子ってゴーカートとかじゃないかしら」

「ミニカーも好き!!でもあそこの遊園地、メリーゴーランドにね凄いお馬さんがいたの!一匹だけ白いお馬さんにキラキラの羽が生えてたの!!今日は会えるかなぁ」

「そ、そうね。会えるといいわね」

ルームミラーには少し困り顔の妻が映っていた。

 

いつかのテレビでそこの遊園地が特集されていた。古い遊園地で特に若者が喜ぶような設備は見当たらなかった。経営が苦しいのだろう、苦肉の策で営業時間を延ばしイルミネーションを導入したといっていた。そう紹介する従業員の表情は暗く、苦しさが伝わる痛々しい放送だった。

その時、ほんの一瞬映ったメリーゴーランドを見てソラトは大はしゃぎをした。

「ママ!今の見た!羽が生えたお馬さんがいたよ!すごい!すごーい!ボク行きたい!あそこに行きたい!!あのお馬さんに会いたい!!」

 

その横で乾いた洗濯物をたたんでいた妻はソラトにせかされスマホでその遊園地を検索したがそんな馬は見当たらなかった。

 

 

車は高速道路を降りてETCを潜った。

遊園地まではあと少し。曲がりくねった山道を抜けた先にある。

時計は19:30を回っていた。対向車線は帰りの車が次々と流れ、彼らは焦りから口数が減っていった。

間に合うだろうか?来園口のゲートから一番近い所に車を止めると彼らはチケット売り場に走った。

 

「大人2枚、子供1枚、と、とりあえず入園チケット下さい!そうだメリーゴーランドの乗物券も!」

チケット売り場のお姉さんはもうレジを閉めて計算も終えていたようで迷惑そうな顔をしていた。

「今からですか?もうすぐ閉園時間になるし乗り物にのれる最終時間は過ぎているので乗れないと思いますよ。」

「お願いします。今日が誕生日なんです。メリーゴーランドなんです!」

慌てる彼の勢いに押されたのか、てんぱった彼の言葉が理解出来ず、お姉さんはチケット3枚を販売してしまった。

 

ゲートをくぐった彼らは人の流れと逆らうようにメリーゴーランドへ向かって一直線に走った。

 

「あなた!」

先頭を走る彼が振り向くと妻はソラトの左手を取り、合図した。

彼は頷き、カバンを右手に持ち変えるとソラトの右手を取り持ち上げた。

 

宙に浮いたソラトはゲラゲラと笑って喜んだ。

そして中央広場を横切ると赤、青、緑、黄色の明かりが彼らを照らした。

大人の目からしたら安っぽいイルミネーションだったが幼児のソラトには夜空の下、色鮮やかな星たちが点いては消え、消えては光る。夢のような世界だった。

 

「見えた、あれだ!ソラト、メリーゴーランドだよ」

 

屋根の上は赤い電飾の王冠。いくつも点灯する温かい色の電飾を中心の柱に取り付けられたミラーが反射させ、眩いほどにかがやいていた。

そこを軽快でゴージャスな音楽に合わせ何頭もの馬が上下して回っていた。

 

「わぁわぁ、しゅごい」

ソラトは漫勉の笑みを浮かべ、興奮してあしをバタつかせた。

彼は我が子の満たされた笑みを見て妻と目を合わせた。すると息を切らした妻も微笑みを返してくれた。家族の幸せな笑顔がスローモーションのように揺れて見えた。

電飾に彩られた家族の微笑みに彼も笑顔で応えようとした瞬間、辺りから音楽も灯りもピタリと消え去った。

 

今到着した彼らの目の前でメリーゴーランドは終了したのだった。

カンカンカン、安い金属の階段を乱暴に降りる音。ジャラジャラジャラ、鎖を掛ける音。

その音は彼らを夢から覚まし現実へと引き戻した。

「もう終わりだよ。突っ立ってないで帰んな。」

髭を生やした老人が声をかけた。

「あの、すみません。今来たばかりなんです。どうか、一度だけ。一度だけ乗せてもらえませんか。この通りですお願いします」

彼はカバンを両手で持ち、足をそろえて負荷深く頭を下げた。

「おいおい、営業の兄ちゃんみたいだな。悪いけど規則は規則だ。今日は帰りな。」

「そこをなんとか!お願いします。どうしても乗せてあげたいんです。お願いします。誕生日なんです」

彼は珍しく引き下がらなかったが

「ダメだ!ダメだ!特別扱いはできねえ!こちとら今からメンテナンスなんだ!とっとと帰りな!」

彼は悔しくて、申し訳なくて、頭を下げたままカバンを持つ手をギュッと握った。

「ソラト、せっかくここまで来たのに。ゴメ・・・」

「パパ!すごかったね!ボクはついに会えたんだ!」

「会えたって??」

「あれだよ!!」

ソラトが指さしたのはメリーゴーランドの一頭の馬だった。

「ねえ、メリーゴーランドのおじいさん!なんであのお馬さんだけ違うの??」

「メリーゴーランドのおじいさん??」

無垢な子供から変わった呼び方をされ、老人は少し照れてた。

「おお、あの馬は一番古くてなぁ。何べんも手直しをしたがオンボロでな、すぐ壊れるん じゃ。」

「でもあのお馬さんは羽が生えてるからボクは大好きだよ!」

「ほお、ボウズは馬の違いが分かるのかい?」

「うん、わかるよ。みんな目の形も、口の形も、名前も違うじゃん。それにあの子は羽も  生えてるからきっとリーダーなんだよ!!」

老人は目を丸くしていた。

「パパぁ、今日はありがとう!最高のお誕生日だー」

「ありがと、ソラト。また連れてきてやるからな」

彼はソラトを抱きしめると、そのまま抱き上げた。

「ありがとうございました。また来ます」

老人にお礼を伝え、彼らは出口へと向かった。

「おやっさん、お疲れ様です。」

様子を見ていた若い男の子のスタッフが軍手をはめながら老人に駆け寄ってきた。

「どうします?ちゃちゃっとあのハネウマをバラしちゃいますか?」

「おい!もう一回灯りつけて回せ。」

「へー、頑固なおやっさんにしては粋なはからいですね。」

老人は男の子を帽子で叩くと

「メンテナンスの一環だろボケ」

 

暗がりに変わった彼らの帰り道をメリーゴランドの明かりが後ろから照らした。

振り返ったソラトは笑顔で老人に手を振った。

「バイバーーイ」

老人も照れくさそうに手を振り返した。

 

ソラトが指さした馬は一番古い馬だった。何度手入れをしても上下する動きがぎこちなくバネのように跳ねてしまうことから老人は「ハネウマ」と名付けていた。

すり切れた塗装も経費削減でいつからか老人がペンキで塗るようになっていて、よく見るとみんな不細工だった。だけどそれに気が付く子は今まで誰もいなかったのだ。

ただの偶然だろうと思いながら、機械技師の職人である老人は違いを見つけてくれた事が嬉しかった。

 

ゲートで最後のお客だった家族をスタッフは笑顔で見送った。

 

「ねえパパ、ママ、1,2の3してー」

そう言ってソラトは手を伸ばした。

彼はまたカバンを持ち変えると手を繋いで、掛け声と同時に高く持ち上げた。

ケラケラと笑う息子の声が辺りに響いた。

「ねえアナタ。気が付かない??」

「え?何?」

「アナタったら、ずっとビジネスカバン手に持ってたのよ。遊園地にスーツとカバンって」

車から降りるとき彼は無意識にカバンも握りしめていた。

「ははは、いらなかったね」

「営業マンの鏡ね」

「ママお腹すいたー」

「帰ったら美味しいシチューが待ってるわよー」

「お星さまはいってるー??」

「もちろん!たくさん入ってるわよ」

「やったー」

彼らは車に乗り込み家路へと走り出した。

チャイルドシートのソラトは夢の中。

羽の生えた馬にまたがり、星空を駆け上がっていくのでした。

 

2021年1月8日 投稿